お茶の歴史

崇福寺跡 (滋賀県大津市)に訪問!お茶の歴史の始まりを訪ねて・・

投稿日:2019年3月28日 更新日:

崇福寺跡 (滋賀県大津市)に訪問!お茶の歴史の始まりを訪ねて・・

滋賀県大津市にある「崇福寺跡(すうふくじあと)」を訪れたことはありますでしょうか?

「扶桑略記」によると、崇福寺が建造されたのは668年で、場所は比叡山南麗に位置します。

天智天皇が大津京を外的や災難から守るために建立した寺院と言われており、 国指定の史跡に指定。

茶太郎
大津京とは、天智天皇が多くの従者の反対を押し切って飛鳥から移した都のことです。

度重なる火災などで、現在は当時の形がなくなりましたが、昭和3年に発掘され「崇福寺跡」と呼称されました。

なぜ突然「おちゃらいふ」でこの崇福寺跡を取り上げるのか?と言うと・・・

ココがポイント

この崇福寺跡周辺でお茶の歴史が始まった!といっても過言ではないからです(諸説あり)

ですので、一度は訪れておきたい・・と思って実際に訪問してきました。

この記事では、この崇福寺跡に行った感想や行き方などを紹介します。

茶太郎
ちなみに、舎利容器(しゃりようき)という国宝が出土したことや、瑠璃製小壺(るりせいこつぼ)などが発見されたことで有名になったようです
壺の中には金銅製の箱があったとか・・これらは、近江神宮に保存されているみたいですよ!
タマ

崇福寺跡について

お茶の歴史から見た崇福寺跡

崇福寺跡について

お茶の歴史について、最も古い記録は「日本後記」に残っています。

この日本後記には、815年、 「嵯峨天皇が滋賀県の梵弱寺に立ち寄った際に、永忠が煎じたお茶を飲まれたと」あります。

このことがきっかけで、大和・山城・摂津・河内・近江・丹波・播磨などでお茶の栽培が始まり、毎年納められていたそうです。

なので、その梵弱寺の出来事からお茶が各地に普及し始めた=お茶の歴史の始まりとも考えられます。

そして諸説はあるものの、この梵弱寺が現在では崇福寺跡がある場所にあったとの説が有力です。

まとめると・・・

メモ

  1. お茶の普及は梵弱寺から始まった
  2. その梵弱寺は、現在では「崇福寺跡」周辺にあったと考えられる
  3. ので、崇福寺跡に行く!

という流れです。

では、梵弱寺はどこにあるか?

梵弱寺が崇福寺跡周辺にあるとのことですが、 実際にはどの位置になるのか?

これに関しては、崇福寺跡にあった資料で説明します。

そもそも崇福寺跡にはいくつかの遺跡が残っています。

北から(写真上)から名称をあげると

  • 弥勒堂跡
  • 小金堂跡
  • 塔跡
  • 金堂跡
  • 講堂跡

このうち、 今回の目的の梵弱寺は、南側にある金堂跡や講堂跡付近にあったという説が有力です。

また、北側にある弥勒堂跡や小金堂、塔堂付近に崇福寺があったと言われています。

茶太郎
この南北の尾根にある遺跡をまとめて崇福寺跡と呼んでいるわけですね
それでは、早速に現場へ向かって見ます!
タマ

「崇福寺跡」訪問記録

しばらくは歩く

崇福寺跡には車で向かいました。

日本一の湖、琵琶湖を横目に西大津バイパスを走り、高砂町付近で下道へ。

そのままナビに従って進むとどんどん道が細くなり、「崇福寺跡 0.5km」という案内が出てきます。

もう少しだ!

駐車場はなし

途中で「志賀の大仏」を通り過ぎます。

そのまま車を走らせると、「崇福寺跡⇒」の案内が。

やっと着いたかな?思うと・・

崇福寺跡

付いた場所以降は、車が通れないので近くにあった砂利のスペースに車を駐車。

(専用の駐車場はないようです)

どうやらしばらく歩く必要があるようです。

そのまま、ゆるやかな坂道を登っていきます。

これが意外としんどいです笑

登りがまだまだ続く

しばらく上ると、また案内があります。

最初と同じく「崇福寺跡」の看板が。

おおお・・・

ようやくついたかな~と左をみると・・(チラ)

そこそこ登りがしんどい

また登り笑

結構・・・・応えます笑

車でさーっと行ける場所だと思っていたので、ちょっとこの登りが予想外でした。

ですが、元気をだして登ります!

すると・・・

今度は階段・・笑

なかなかに体力を削ってくるスポットです笑

泣く泣く階段を登ります。

そこそこ登りがしんどい

登る登る登る・・

そこそこ登りがしんどい

登る登・・・・

あ・・・・平地が・・・

ようやく崇福寺跡に到着

なんとか目的地に到着しました。

まさか普通に登りがあるとは思いませんでした笑

しかしいざこの場に来てみると・・・・結構雰囲気のある場所です。

春になると桜が満開になるとのことで、その時期に来るとかなり趣がある場所になると思います。

茶太郎
もうちょっと遅く来ればよかったかも笑

この場所に関する詳しい配置などがわからなかったのですが・・

ちょうど、どの場所に何があったのかを説明してくれる看板資料が立ってました。

一部抜粋して説明すると・・

崇福寺跡に到着

中央の記念碑がある場所(写真の場所)が金堂跡です。

そして、講堂跡は金堂跡の向かい側でした。

講堂跡にはぽつぽつと礎石が残っています。

茶太郎
礎石(そせき)とは、建造物の土台となって、柱を支える石のことです。
火災で建造物がなくなっても、礎石は残っていたんだね!
タマ

趣度100%の気持ちいい所

梵弱寺があったであろう、崇福寺跡にはところどころに残る礎石と、記念碑がありました。

また、たくさんの木も植えられています。

静かな山中に、ポツンと古代の足跡が残っている場所にいると、すごく趣を感じます。

茶太郎
不思議な気持ちになる場所です

それに「ここからお茶が各地に普及していったんだなぁ」と思うと感慨深くもなりました。。

(諸説ありですが笑)

今度は桜満開シーズンに来たいと思います。

建造物があるわけじゃないけど・・

観光情報

崇福寺跡の場所など、観光に必要な情報をまとめました。

名称 崇福寺跡(すうふくじあと)
所在地 滋賀県大津市滋賀里町甲
地図
連絡先 077-521-2100(大津市歴史博物館)
駐車場 なし
茶太郎
車で行く場合、駐車場がないので注意してくださいね!
また、向かう途中は民家など通り過ぎるので、速度を出さないように注意しましょう
タマ

アクセス方法は?

車・電車で行く場合のアクセス情報をまとめました。

車で行く場合

西大津バイパスを高砂町付近で降りて、3分ほど走ると到着。

電車で行く場合

京阪電鉄/石山坂本線 を利用して「滋賀里駅」 で下車

滋賀里駅からは徒歩で約15分程度

(ですが、そこそこ登りを超える必要があるので30分くらい見た方がいいかもしれません)

ちなみに標高差は100m近くあります。

茶太郎
以上、崇福寺跡に関するまとめ記事でした!
京都観光や琵琶湖観光のついでに見に行くとかもありだと思います!
タマ
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