茶道はもともと禅宗の文化が発端で人々に広まったことをご存知でしょうか?
現在でもお茶の伝統となっている「茶の湯」や「侘茶」は、室町時代に村田珠光という人物が「お茶と禅宗の融合」をテーマに完成させた文化です。
そのため、茶席では「禅語」がしばしば登場することがあります。
代表的な禅語というと
- 千利休の「和敬静寂」
- 井伊直弼の「一期一会」
などの四字熟語から、長文として扱われる言葉まで種類は様々です。
このような禅語や言葉は、お茶に対する考え方はもちろんのこと、人生の悩みなどを解決する手段を学ばせてくれる「先人の教え」でもあります。
お茶に関係する禅語
且座喫茶(しゃざきっさ)
「まあ座ってお茶でも飲んでいきなさいよ」
という意味で「茶の湯」の原点ともいわれる言葉です。
詫びの精神を尊び、心をつくして出されるお茶ほど心身を癒してくれるものはないとのこと。
和敬清寂(わけいせいじゃく)
茶祖・千利休が茶の湯の根本精神を要約したと言われる言葉。
- 和:同じ仏性をもつものとして、お互いに認め合うこと
- 敬:人間の尊厳性を敬うこと
- 静:心身の汚れから離れて清浄を保つこと
- 寂:無執着の境地に身を落ち着けること
茶道の精神と仏教の精神、そして禅の精神とが融合して要約した言葉が「和敬清寂」と言われています。
一期一会(いちごいちえ)
茶席では、何度も同じ亭主と客が会うこともあります。
ですが今日の席は二度と無いと思えば、それは一生に一度の出会いとなります。
だからこそ、茶席の亭主は精いっぱい客に気を使い、客も亭主の配慮に心から感謝し、真心を持ってのぞまなければばならない。
といった意味です。
茶煙出戸深(さえんこをいでてふかし)
お茶を沸かした際に茶道具から出る煙が、戸外へ出てゆらゆらとどこまでも流れていく様子を表している言葉。
年老いて、座禅用の腰掛けの近くにたたずんでいると風に乗って茶煙が漂っているのが目に入ってくる。
という情景を表現しています。
若き日を思い出して感慨にふけるという意味に用いられます。
四海皆茶人(しかいみなさじん)
「四海」とは天下すべてを表しているとのことです。
つまり、同じ茶席で一服のお茶をいただけば、皆そのまま同じ茶人仲間であるという意味です。
茶の湯の起源は、現在も禅宗寺院で行われる「茶礼(されい)」にあります。
この茶礼は、同じ師のもと一服のお茶を喫することで自分たちが仲間であることを再確認するものです。
「四海皆茶人」もこの茶礼の延長から登場した言葉なのかもしれませんね。
茶遇知己喫(ちゃはちきにあいてきっす)
心の通じあった友とともに、茶を喫するすばらしさを表現している言葉。
亭主と客との間でも、あるがままにお茶をいただくことが理想だとも言っている。
心構えに関係する禅語
行雲流水(こううんりゅうすい)
行く雲・流れる水のように、何にも逆らわず気ままに流れゆく様を表現した言葉。
といっても「自由奔放に行動せよ」という意味ではありません。
自分のありかたにこだわらず、空を行く雲のように、川を流れる水のように、柔らかく起きたことに対処していく様に心がけようといった意味です。
また、物事に対する執着心から解き放たれるという意味でも用いられます。
現在のストレス社会においてこそ、こういった言葉が必要なのかもしれませんね。
下載清風(あさいのせいふう)
船の荷物を全て降ろした後、船上できもちのいい風に吹かれている様子を表現しています。
船の表現が例えで、煩悩を捨て去った後の清々しさを表現しています。
自分では気づかないうちに、いろいろな荷物を背負ってしまっていることが多いと思います。
下載清風はそういったときこそ、座禅などで余分な煩悩を落とし、本来の自分に戻ることで爽やかな心持になれることを教えています。
真空境寂(しんくうなればきょうじゃく)
真空境寂とは、悟りの境地を表現した言葉と言われています。
「境」とは人間の五感や思考を指します。
この「境」があるからこそ、人間には煩悩がおきてしまうという考えが「真空境寂」の大元です。
「真空」とは心が何にもとわれていない状態を表現しています。
つまり、心を空にし完全に煩悩から解放された状態=悟りが真空境寂の状態ということです。
帰家穏座(きけおんざ)
家に帰って静かに座るという、一見何の変哲もない言葉。
ですが、この「家」というのは、本来自分があるべき姿を指しています。
普段の生活から起きる煩悩や怒り、その他様々な感情によって本来の自分から遠のいている人に向けた言葉ですね。
こういった人にこそ「武者修行などを行い本来の自分に安住せよ」というメッセージが込めらられた語句です。
紅炉一点雪(こうろいってんのゆき)
燃え盛るいろりの上に一片の雪が舞い降りると、瞬間的に溶けてしまいます。
この雪を、人間の雑念と捉えることで紅炉一点雪の意味が見えてきます。
何か嫌なことがあって、雑念がきてもそれに執着しなければ、それ以上自分の頭の中では嫌な感情が広がらず、心が安定するといった教えです。
また、あらゆるものは無常であるから、執着心を起こしてはいけないという教えでもあります。
季節・情景を表す禅語
一花開天下春(いっかひらいててんかはるなり)
春の象徴である桜が開花した情景。
桜のつぼみがほころんで、花が姿を見せるとたちまち春一色のムードがいきわたります。
この前向きな感動と、季節のよろこびを読んだ語句であるとのことです。
梅花雪裏春(ばいかせつりのはる)
早咲きの梅の花が、残雪の中で咲き出している情景。
一足早く春の訪れが来たこと表現しています。
花開万劫春(はなひらきてまんごうのはる)
春になり、日ごとにあたたかさが増してくる中で、いろいろな花が咲き始める情景。
本格的な春の到来を表現しています。
この希望に満ちたのどかな日々が未来永劫続くことを祈った語句とのこと。
夏雲多奇峰(かうんきほうおおし)
夏雲が太陽に照らされて、まばゆく輝きだす情景。
本格的な夏の到来を表現しています。
夏の入道雲は、上昇気流に乗って高い山々に見えることから、このような表現になったとのことです。
払葉動秋色(はをはらってしゅうしょくをうごかす)
葉を払って自分が見えている秋の景色を動かす情景。
「秋の色」とは、秋に見られる風景のことです。
その中でも、秋の山野には七草に代表される色とりどりの草花があります。
秋の色彩の豊かさ、そしてそれを眺めることで心が落ち着いていく様子を表現しています。
楓葉経霜紅(ふうようしもをへてくれないなり)
晩秋に緑の葉が変化して紅葉になっていく情景。
紅葉が美しくなる条件は、日中はよく晴れ上がり、夜間に霜が降りるような気候が続くことといわれています。
その流れを「楓葉経霜紅」という語句で表現しています。
茶道においても、11月の開炉のころ紅葉にちなむ様々な趣向を取り入れた茶会が開かれるます。
今すぐ意識できる禅語
深知今日事(ふかくこんにちのことをしる)
「今日」という日に集中しなさいという言葉。
現代では、明日のこと、一ヶ月先のこと、一年先のことを考えて「先へ先へ」と心が移っていきがちです。
ですが、今を積み重ねた結果にその未来があることを忘れてはいけません。
今日できることを精いっぱい勤めましょうというメッセージが込められています。
年々好日々好(ねんねんこうにちにちこう)
生きていれば、楽しい日もあれば、悲しい日もあります。
けれどそれに心を留めることなく日々を新たな気持ちで精いっぱい過ごせば、素晴らしい毎日になるというのが「日々是好日」です。
この日々是好日に徹すると、毎年が素晴らしい年になるということを表現しています。